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130:日常とスピード
僕も思わず口にしてしまうのですが、「効率がいい」って、なんだか良い言葉ですよね。
「スマートフォンの機能が増えました」とか「翌日には注文品が自宅に届きます」とか、色々とあると思うんですけど、効率化には共通して“便利だな”という感覚がくっついてくるのではないでしょうか。
僕は“効率性を高めよう”と頭を使うことは、とても良いことだと思うんですよね。
ただ、効率性や利便性だけで生きてしまうと息苦しい場面が増える気がするんですよ。
「時間を無駄にしてしまった」とか「思い通りにいかなかった」とか、何でもかんでも“最短”でどうにかしようとすると難しそうだなあ、と。
実家では田んぼでお米をつくっておりまして、白米を食べられるまでにどれだけの期間を要しているのかが身に染みて分かっているつもりなんです。
どれだけ農機具を機械化しても、田植え~稲刈り・脱穀までの期間は縮むわけではないじゃないですか。極端な話をすると、スーパーで売られているものを買うと、白米として口に運ばれるまでの過程を忘れそうになってしまうのです。
お米だけでじゃなくて、野菜や魚、肉や加工品すべてに言えることなんですけども。
ヨガ的な話をすると、「ストレスはスピードである」と解釈する場面が多いんですよ。
皆さん、テトリスはプレイされたことありますか。
落ちてくるブロックのスピードが段々と早くなると、頭も指先も処理能力が求められるので負荷がドカッと増えますよね。
何でも“早く早く”行おう、済ませようとすると、気が付かぬうちに日常生活がテトリス状態になっていることがあるかも、しれません。いや、私はぷよぷよ派だという方も、、、、。
そこで“循環”に目を向けると、時間の経過に寛容になれるんじゃないかと思っています。
一年をかけて季節が移り替わっているのは勿論のことですが、ご自身の身体も「プロテインを飲んだらいきなりムキムキになった」なんてことはないじゃないですか。
今食べているもの、これから食べるものが明日、一週間後、三カ月後の体になっているわけです。
「1カ月で痩せる」という謳い文句に食いついたことはないですか?
支払いの時もそうなのですが、この1万円は○○の仕事で稼いだんだよなあとか、○時間頑張ったなあとか、その過程のことを思うと「この人/お店ならきっと良いお金の使い方をしてくれる」なんて想像できるところでお金を使いたくなりませんか。
まぁそうやって考えることが好きか嫌いかは別として、ゆっくりしているから色々と考えられますし、考えられるからゆっくりできますよね。
気付かぬうちに自分は早さばかり求めていないだろうか?と見つめ直してみるだけでも、いい時間の使い方なんじゃないかなと思います。
Sahanaメルマガ vol.282(2022年11月)より