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Mail Magazine

073:エシャレット

今回のメルマガのタイトル「エシャレット」と聞いて、頭の中にパッとイメージが出てくる方が何名いらっしゃるのか気になるところです。僕はつい先日まで、このエシャレットというものを知らなかったのですが、皆さんはご存知でしょうか。カタカナ表記なので、どこぞの洒落たものかと思いきや「若採りらっきょう」のことなんです。「それなら最初から、“らっきょう”って言えば良いのでは…?」と思いませんでしたか。僕はそう思いました、、、、。



普通のらっきょうと少しだけ違いまして、軟白栽培(暗い環境下で育てることで茎を柔らかくする栽培方法)をして早獲りした根らっきょうのことをエシャレットと呼ぶそうで、市場に出回り始めた1960年代に「根らっきょうという商品名では売れなさそうだから、エシャレットとというお洒落な名前にしよう」と命名されたようです(50年もの歴史があったなんて知りませんでした…)。



未分化の世界を名称と形態によって細分化していった(名前が無くなれば区切りもなくなる)───



という、紀元前に書かれたインドの哲学書の一節がございまして(ただのらっきょうの名前がきっかけで思い出してしまう僕の頭は、なかなかインドにやられている気がします、、、、)。一度名前が付いてしまえば…という話なのですが、例えば、今では筆は入っていないけど「筆箱」ですし、下駄が入っていないけど「下駄箱」という名称は変わっていません(という話を昔のメルマガでも書いた気がします…)。名前があるから認識が生まれ、その名前によって認識をつくっているのはあなた自身ですよ、なので“私とは~”というのが、インド思想の問いかけなのですが、メルマガで書いても面白くない話なのでこのあたりで、、、。



大学生の頃にバイトしていた飲食店で「生ハムのグラタン」というメニューがありまして、焼きあがったグラタンに生ハムを乗せた料理ではなく、生ハムを乗せたグラタンを焼くというメニューだったので、「焼いたら生ハムではないですよね…?」と言うとシェフにすごい難しそうな顔をされたことは、なぜか今でも鮮明に覚えています…。焼いてしまっても「生ハムの~」というメニュー名はやはり人気だったので、実物よりも言葉の印象はとても大事なんだと、その時学びました。



なにも固有名詞だけでなく、日ごろの生活でも言葉のイメージに左右されていることは多いのではないかと思います。「雨でジメジメの梅雨」よりも「肌が潤う梅雨」と思う方が季節の恩恵を感じられそうですし、「口うるさくて嫌な上司」よりも「小姑の呪いをかけられた不憫な青年」と思えば嫌悪感ではなく慈悲の気持ちが生まれそうですね。





名前がついているから物事を認識するんだなと、あらためて考えさせられるエシャレットなのですが、普通に「若採りらっきょう」という商品名で売っていた方が売れていそうな気がするのは僕だけでしょうか…?



Sahanaメルマガ vol.208(2021年6月)より

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