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Mail Magazine

038:ガネーシャの悲しい過去

今週も始まりましたね。月曜日が好きな方も、あまり好きではない方も、いかがお過ごしでしょうか。気が付くと10月も最終週なんですよね。神無月と呼ばれる今月、なんだか運がないなぁと思った出来事は、神様がいなかったからかもしれません(とか、こじつけると楽になるようなこともありますよね)。



スタジオには神棚がありまして、毎日水を変えたり、隔週で塩も変えているのですが、具体的に神様や何かに対して手を合わせているという感覚よりも、そうした方が“良さそうな気がする”からしています。試合前のスポーツ選手が「右足からシューズを履く」と決めているように、行為によって自分のルーティーンをつくるのが目的と言えば、それが近いかもしれません。



昔から「神様はいる/いない」という論争をするつもりはなく、今でもずっと「それは個人の自由」と思っているのですが、インドでの学生時代は、否が応にもクラスメイトたちと「神について」話すことが多かったです(どちらかというと、聞くことばかりだったのですが…)。



特に、僕の周りにいたインド人の友達は、神様に対する具体的なイメージを持っているのが当たり前なので、僕のような一般的な日本人が抱く「神様の人物像は特にないけども、なにとなく神様と呼ばれるものはどこにでもいて、大切なことを常に見守っているような気がする」という印象を、「なんて変わった感覚なんだ」と、あまり理解されることは無かった記憶です。



当スタジオのロゴのイメージはガネーシャという象の神様なのですが、きっと皆さんも「あぁ、あのインドの神様ね」と、スタジオロゴ以外でも、カレー屋さんなどで見かけられているかと思います。商業や学問の神様とされ、インド国内では絶大な人気を誇りまして、ガネーシャの祝祭日にはガネーシャ像が飛ぶように売れます(そしてお祭りが終わると、ガネーシャの像は近くのお寺の池や、川の中へと投げ込まれます…)。



このガネーシャさん、体は人間、頭は象といった一風変わった見た目でして、その外見に至るまでの理由がなんとも切ないのです…(「体は人間、頭は象」って、どこかの名探偵みたいな言い回しですね…)。



元は普通の人間の見た目をしていたガネーシャなのですが、ある日、初めて出会う父親に不審者(「見知らぬ無礼者である」)と間違えられて思いっきり首を飛ばされてしまいます。この時点でとんでもない話なのですが、その直後に「先ほど首を飛ばしたのは自分の子だったか…!」と初めて知った父親は、急いで飛ばした首を探しに行くのですが、あまりにも遠くまで飛んでいたために探しきれず、その道中で見かけた象の首を切り落として持って帰り、息子の体にくっつけて復活させたとされています。



首を飛ばされた息子も可哀そうですが、道中にいただけで首を落とされた象はもっと可哀そうという、なんともとんでもない話です…。インドにいた時には、本当に色んな意味で「神とは…?」を考えさせられました。


Sahanaメルマガ vol.147より(2020年10月)

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