191:菜食は思想なのか
皆さんは、野菜は好きですか?それとも、お肉大好きの肉食ですか?きっと、ほとんどの方が菜食主義や肉食主義関わらず、野菜も肉魚も食べられているのではないかと思います。
海外に行かれたり、日本に来られる海外の方との交流で、少なからず「ベジタリアン」や「ヴィーガン」といった言葉を見聞きする機会はあるのではないでしょうか。
僕の学生時代を過ごしたインドは、ベジタリアン/菜食主義が主流の国です。その上、在籍していた大学・大学院ではヒンドゥー教が色濃い場所だったので、「シュウノスケ、お前はいいやつだな。肉を食べるくせに。」と余計な一言を言われていました。
菜食とは、肉、魚、家禽を避け、主に植物性食品を摂取する食事スタイルのことを指します。ベジタリアンという呼び方は、卵や乳製品を摂取する場合も含むことも。ヴィーガンは、動物性食品を一切摂取しないスタイルを指すなど、一言に菜食主義といっても様々な形態があります。
インドでは、菜食が非常に重要な役割を果たしています。その背景には、宗教や哲学の影響が深く関わっておりまして、インドの古代聖典であるヴェーダは、ヒンドゥイズムの基盤となる教え
である、アヒンサー(非暴力)の原則が強調されています。この教えは、すべての生命に対する非暴力を意味し、動物の殺生を避けることを推奨しているんです。
特に、後期ヴェーダ時代(先述した非暴力の教えが確立された時代ですね)やジャイナ教、仏教の台頭により、菜食主義が倫理的に支持されるようになったんです。宗教的儀式や日常生活において、動物供犠から植物性の供物への移行が進み、ヨガやアーユルヴェーダの教えにおいても、菜食が心身の浄化と調和に貢献するとされています。
しかし、実は、インドにおける食生活が常に菜食であったわけではないんですよ。農業が発展する前の狩猟採集社会では、肉や魚、野生の果実や植物が主要な食料源でした。動物の狩猟や魚の捕獲は、バランスの取れた食事を維持するために重要だったわけです。
農業の発展により、穀物や豆類、野菜、果物などの栽培が進み、定住生活が一般化したんですね。これにより、食生活が大きく変化し、植物性食品の割合が増えたことによって、「菜食という選択ができる」という状況になったわけです。
宗教的・倫理的な理由から、菜食主義が広まりましたが、その根底には農業の発展があったのです。そして、この飛躍的な農業技術の発展の背景には、戦争があるという…こうして深ぼっていくとキリがないんですけども、飽き飽きした皆さまの顔が脳裏に浮かんできますので、このあたりで…。
何が言いたいかといいますと、ヨガを実践しているからといって、必ずしも菜食主義になる必要はありません。確かに、ヨガの重要な教えの一つでは、非暴力を強調していますが、これは必ずしも菜食主義を強制しているという意味ではありません。
ヨガの目的は自己の内なる成長と調和を見つけることであり、食生活はその一部に過ぎないので、結局は、自分の体と心のニーズに合わせて、最適な食事スタイルを見つけることが大切というお話でした。
Sahanaメルマガ vol.363(2024年7月)より