
Column
習慣化の科学と哲学 ─ “意思をなくす”ことで続く仕組み
記事作成日
2025年10月10日
「続かない」のは意志が弱いからではない
「続けたいのに、続かない」
それは誰もが経験する、小さな苦悩のひとつですよね。
朝の瞑想を決めても三日坊主。
運動や早寝も、最初の数日で途切れてしまう。
私たちはつい、「意思が弱いから続かない」と思い込んでしまいます。
けれど、行動科学の視点で見ると、それは意志力の問題ではありません。
原因は「脳の回路がまだできていない」という、ただそれだけのこと。
脳には「線条体(せんじょうたい)」という部位があります。
ここは“習慣中枢”と呼ばれ、同じ行動を繰り返すたびに神経回路が強化されていきます。
逆に、「やろうか、やめようか」と何度も考えるほど、前頭前野(意思決定の司令塔)が疲弊してしまう。
つまり、習慣とは「努力」ではなく、「神経の設計」なんです。
意思の力を減らし、行動を自動化することこそ、続く仕組み。
それが本来の「習慣化」のメカニズムなんですね。
ホルモンが“続く人”をつくる
行動を続ける人と続かない人。
この違いには、脳内のホルモンのリズムが関係しています。
新しい行動を始めた瞬間、脳では「ドーパミン」が分泌されます。
これは「やってみよう」という高揚感を与えるホルモンで、いわばスタートダッシュの燃料。
けれど、ドーパミンは長く続きません。
数日経つと減少し、脳が「報酬がない」と判断してやる気を失ってしまいます。
多くの人が三日坊主になるのは、この段階で“脳の報酬系”が静まるからです。
しかし、ここを越えて行動が安定すると、
今度は「セロトニン」や「オキシトシン」といった“安定ホルモン”が分泌されはじめます。
このとき、行動の原動力は「快楽」から「調和」へと変わります。
朝の静けさを感じながら呼吸を整える。
ヨガマットに自然と座る。
それはもはや努力ではなく、身体が求める安心のリズム。
習慣とは、興奮から静けさへの移行です。
続ける人は、自分の神経とホルモンを“穏やかさの方向”に育てているんです。
カルマ・ヨガ ─ 「行為はするが、結果にとらわれない」
ここまでの科学的な説明を、インド哲学の文脈で見てみましょう。
実はこの“意思を超えた行動”という考え方は、すでに何千年も前から説かれてきました。
それがカルマ・ヨガ(行為のヨガ)です。
『バガヴァッド・ギーター』には、有名な一節があります。
「行為をする資格はあなたにあるが、その結果に執着する権利はない。」
つまり、行為は結果を得るための手段ではなく、
自己を整えるための道なのです。
私たちは何かを「続けよう」と思うと、どうしても結果に意識が向きます。
けれど、その焦りが、かえって行為の流れを止めてしまう。
カルマ・ヨガは、行為そのものを神聖なものとして扱います。
「上達」や「成功」よりも、「誠実な繰り返し」を尊ぶ。
これはまさに、行動を“意思ではなく仕組み”に委ねるという、現代の行動科学と響き合う考え方です。
朝の瞑想も、夜の呼吸も、やる気ではなく秩序の問題。
続けることで、私たちは“意志を超えた自然なリズム”に入っていくんですね。
習慣とは「サンスカーラ(心の刻印)」の再設計
ヨガ哲学では、心の深層に刻まれたパターンを「サンスカーラ」と呼びます。
これは、過去の行為や感情の記憶が作り出す“心の跡”のことです。
何かを考えるたび、感じるたび、行動するたびに、
その経験が“刻印”として心に残ります。
そしてそのサンスカーラが積み重なると、次の行動を自動的に生み出す。
これが、私たちの「癖」や「パターン」の正体です。
たとえば、「夜更かしをしてしまう」「ついスマホを触る」といった行動も、
意思ではなく、サンスカーラに導かれた自動反応なんですね。
だから、新しい習慣をつくるとは、サンスカーラを上書きすること。
脳科学で言えば、「神経可塑性(ニューロプラスティシティ)」の再構築です。
過去の自分が作り上げた無意識の道筋を、
少しずつ新しい方向に整えていく作業です。
使われた神経経路は強化され、使われなくなった経路は弱まります。
ヨガ哲学ではこれを「チッタ・ヴィシュッディ(心の浄化)」と呼びます。
つまり、習慣化とは単なる行動管理ではなく、心の質を整える修練です。
望ましい習慣を続けることは、
心の深層に“静けさの刻印”を増やすことでもあるんですね。
そしてそれは、「努力する」よりも「整える」に近い。
習慣とは、意思で頑張るものではなく、整えながら育つものなんです。
意思を超えるという“イニシエーション” ─ 習慣は内側の秩序を育てる道
習慣化の目的は、「続けること」そのものではありません。
それは、日常の中に意識の変容を起こす仕組みを持つこと。
朝、静かに呼吸を整える。
夜、今日の自分を見つめ直して眠る。
その繰り返しの中で、行為は次第に“外的な努力”から“内的な秩序”へと変わっていきます。
行動科学の言葉では「環境設計」。
ヨガ哲学では「サーダナ(修練)」。
どちらも、意思を介さずに“調和の流れ”に自らを委ねるという点で同じです。
そして、そのプロセスの中で起こるのがイニシエーション(内なる通過儀礼)です。
日々の行動が心を静かに変えていく。
気づけば、“やらなければ”が“やらずにはいられない”へと変わっている。
“意思をなくす”とは、怠けることではありません。
むしろ、意思を介さずに善い行為が自然に流れる状態をつくることです。
ドーパミンで始まり、セロトニンで落ち着き、
サンスカーラとして心に刻まれていく。
その過程こそが、意識が成熟していくための通過点、小さなイニシエーションなのです。
続けるということは、
自分の内側に秩序を築き、世界と調和して生きるということ。
それは、科学であり、哲学であり、
そして何よりも“自分を新しい段階へ導く儀式”なんですね。






