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Column

ヨガと「食べる哲学」 ─ インド哲学から“からだの一口”を考える

ポーズの前に「口に入るもの」から整えるというヨガ

記事作成日

2025年11月18日

ポーズの前に「口に入るもの」から整えるというヨガ

忙しい一日の中で、「ちゃんと味わって食べたなぁ」と感じる食事がどれくらいあるでしょうか。
気づけばスマホを見ながら、メールを返しながら、頭の中は仕事のことでいっぱいのまま、ごはんだけが流れていく。

ヨガは、本来「自分とつながる練習」ですが、その入り口として一番身近なのが食事かもしれません。
ここでは、ヨガ・ヨガ哲学・インド哲学の視点から、「食べる」という行為をもう一度見つめ直してみます。

ヨガと聞くと、多くの人はまずアーサナ(ポーズ)を思い浮かべますよね。
身体を伸ばして、関節の可動域を広げて、呼吸を深くする。もちろんそれも立派なヨガの実践です。

でも、ヨガの世界では昔から「何を食べるか」「どう食べるか」も同じくらい大切にされてきました。
身体は食べたものでつくられますし、その身体の状態がそのまま「落ち着きやすさ」「イライラしやすさ」「眠りやすさ」に直結するからです。

たとえば、
・夜遅くまで仕事をして、ヘトヘトで帰宅してからのドカ食い
・ストレスが強い日の「とりあえず甘いもの」
・お腹はそんなに空いていないのに、時間だからと惰性で食べてしまう

こうした食事は、「悪いからやめましょう」というよりも、ヨガ的には「自律神経と消化のリズムを乱す要因」として眺めます。
ポーズでいくら整えようとしても、毎日の食習慣がそれを逆方向に引っ張っていると、なかなか“軽やかさ”が定着しないのですね。

だからこそ、
ポーズの前に、まずは一日のどこか一食だけでも“ヨガ的に食べる練習”をしてみること。
これが、忙しい現代人にとってのリアルなヨガの入り口になっていきます。

ヨガ哲学が教えてくれる「お腹の声」と「頭の声」の違い

ヨガ哲学が教えてくれる「お腹の声」と「頭の声」の違い

ヨガ哲学では、僕たちの内側にはいくつかの層(鞘/コーシャ)があると考えます。
その中に「心の層(マナス)」と「知性の層(ブッディ)」がありますが、食事の場面ではこのふたつがよくケンカをします。

➤マナス(心の層):
「甘いものが食べたい!」「今すぐ満たされたい!」と、感情と欲求が反応的に動くところ。

➤ブッディ(知性の層):
「今日は疲れているから、消化に優しいものにしよう」
「明日の朝すっきり起きたいから、量は控えめにしよう」と、少し先の自分を見て選択するところ。

食事の場面でヨガ哲学が提案してくるのは、
“どちらかを正義にする”のではなく、「今の自分にはどちらの声を採用するのがやさしいか」を一瞬立ち止まって観ることです。

たとえば、仕事帰りのコンビニ前。
マナスは「ポテチとアイスいこう」と騒いでいる。
でも、ブッディは「明日の午前中も集中したいから、今日は塩分と糖分を少し軽めにして、温かいスープにしない?」とささやいている。

このとき、
「ポテチを食べる=ダメな自分」
「スープを選ぶ=偉い自分」
という道徳のゲームにするのではなく、

今夜の自分にとって、どちらが“ほんとうの意味でのやさしさ”だろう?

と問い直してみる。
この小さな問い直しこそが、ヨガ哲学でいう「ヴィヴェーカ(見分ける力)」の実践です。

食べ物そのものよりも、
“どんな意識状態でそれを選んだのか”
ここに、ヨガ哲学的な面白さが滲んでくるのです。

インド哲学から見る「誰が食べているのか?」という根本の問い

インド哲学から見る「誰が食べているのか?」という根本の問い

インド哲学(サーンキヤ哲学やヴェーダーンタなど)は、食事という日常の行為にも、少し変わった問いを投げかけます。

それは、
「そもそも、誰がこのごはんを食べているのか?」
という問いです。

一見すると、
「いやいや、僕(私)が食べているに決まってるじゃないか」となりますが、哲学的な見方では、もう少し分解して考えます。

・口を動かし、噛み、飲み込んでいるのは「身体(プラクリティ)」
・おいしい、不味い、足りない、満たされた、と感じているのは「心(マナス)」
・それを観察し、「今お腹七分目くらいだな」と気づいているのは「気づいている意識(プルシャ/アートマン)」

このように分けて眺めてみると、食事の時間は
「からだ」「こころ」「気づいている意識」の三者面談
のような場にも見えてきます。

インド哲学は、
「食べ過ぎてしまう自分」を責めるよりも、
「食べ過ぎている様子に気づいている静かな視点」を育てることを大切にします。

その静かな視点(観照者の意識)が少しずつ育ってくると、

食べ過ぎた自分をジャッジするより

「あ、今日はストレスで心が荒れていたな」と、状況として理解できるようになる

この切り替えが起きてきます。
“反省”から“理解”へ。
このシフトは、食事だけでなく、働き方や人間関係にもじわじわと影響していきます。

食事は一番身近な「プラーナの出入り口」

食事は一番身近な「プラーナの出入り口」

ヨガでは、「プラーナ(生命エネルギー)」という考え方をとても重視します。
呼吸、食事、睡眠、光(太陽)などを通じて、僕たちは常にプラーナの出入りをしていると考えるのですね。

その中でも食事は、
もっとも物質的で、もっとも直接的なプラーナの取り込み方です。

・消化しやすい温かい食事をとると、内側からじわっと温かさが湧いてくる
・脂っこいものやアルコールが続くと、身体が重く、心も鈍くなりやすい
・空腹すぎてもイライラや不安が増えやすい

こうした体験は、難しい哲学を知らなくても、誰もがどこかで感じていることだと思います。

ヨガ的な食事のポイントは、
「完全無欠なヘルシー食にしなさい」という極端なものではなく、

➤リズム(できるだけ同じ時間帯に食べる)

➤質(今の自分が消化しやすいかどうか)

➤量(腹八分目を“目安”としてみる)

この3つのバランスを、自分の生活と性格に合わせて微調整していくことにあります。

会食も外食もお酒も、人生の楽しみの一部です。
大切なのは、「楽しんだあとのリカバリー」を自分でデザインできること。
その視点が育ってくると、食事は「健康の敵」ではなく、むしろ自分と仲直りするための強力な味方になっていきます。

明日の一食からできる、ヨガ的な「食べる練習」

明日の一食からできる、ヨガ的な「食べる練習」

後に、ヨガ・ヨガ哲学・インド哲学のエッセンスを、明日の一食から試せる形にギュッとまとめてみますね。

食事の前に、3呼吸だけゆっくり吐いてから食べ始める
「自律神経を呼吸で落ち着けてから、胃に仕事をお願いする」イメージです。

一食のうち、最初の3口だけは“ながら”をやめて味だけに集中してみる
スマホやPCから目を離し、「これはどんな香りと食感だろう」と観察者モードで味わってみる。

食べている途中で一度だけ、
「今欲しいのはお腹の満足?それとも頭の満足?」と心の中で問いかけてみる。
そこで出てきた答えに、少しだけスペースを与えてあげる。

食後に、「この一食は今日の自分にとってやさしかったかな?」と、
良し悪しではなく“体験のメモ”として振り返ってみる。

どれも大きな決意はいりませんが、続けていくと
・過食のクセ
・ストレス食い
・なんとなくの間食
が、少しずつ“観察できるパターン”として浮かび上がってきます。

ヨガもヨガ哲学もインド哲学も、
難しいポーズや難解な教科書の中だけにあるわけではなくて、
「今日の一口をどう扱うか」という、とてもささやかな場所にもちゃんと息づいています。

明日のどこか一食だけ、
ヨガマットの上ではなく、食卓の上で「ヨガをしてみる」。
そこから、身体と心と意識の関係が、静かにほどけはじめるかもしれません。

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