
Study
ぼんやり考える時間は「心の遊び」だった ─ デフォルト・モード・ネットワークと“架空の目標”の価値

記事作成日
2026年2月28日
この論文は「ぼーっとしている時間」を救ってくれる、わりと珍しいタイプのレビューなんですよ。僕たちはつい、集中している状態を“正解”、気が散っている状態を“ミス”として扱いがちですよね。でも著者たちは、起きている時間のかなりの割合で、僕たちの心は目の前の出来事から離れていく、とまず認めます。
そして、その自発的に浮かぶ思考は、単なる怠けや逃避ではなく、未来の予行演習になったり、記憶の整理になったり、他者とのやり取りのシミュレーションになったり、創造性の種になったりする、と整理してくれます。
それでも「現実に起こりそうもない妄想みたいな思考」ってありますよね。あれは何の役に立つんだろう、って。ここで出てくるのが“遊び”の発想です。子どもの遊びって、現実のゴールじゃないんですよね。泥で薬を作ったり、怪獣を倒したり、わざわざ無駄な障害物を作って乗り越えたりします。
でもその“架空の目標”があるから、計画したり、工夫したり、試行錯誤したり、世界のモデルを少しずつ精密にしたりできませんか。著者たちは、自発的思考もそれと同じで、実現しないかもしれない目標を頭の中で試せる「心の遊び場」なんじゃないか、と言っているんですよ。
「役に立つかどうか」で思考の価値を裁きすぎると、僕たちは“価値観そのもの”をアップデートする機会を失います。外から与えられた評価軸(成績、ランキング、いいね、ポイント)に回収され続けると、いつの間にか“自分の価値”が分からなくなるわけです。著者たちは、自発的思考には、既存の成功指標から一歩引いて、別の価値体系を試し直し、自律性を取り戻す働きがあるかもしれない、と踏み込んでいます。
これは、ヨガや内観の文脈で言う「外の尺度から離れて、内側の基準を取り戻す」にかなり近い話だと思います。もちろん、いつでも心をさまよわせればいいわけではなくて、仕事中に暴走すると困る場面もあります。でも、だからといって“余白を全部埋める”のは損なんですよね。散歩、入浴、移動、ぼんやり窓を見る時間などなど。そういうところに、自発的思考が立ち上がるスペースがあると思いますよ。
ぼーっとするのはサボりではなく、心が遊んで学んでいる時間かもしれない。そう思えるだけで、日常の設計がちょっと変わってくるかもしれませんね。
下記、研究の要約まとめです。
Spontaneous thought as play: the value of fictional goals in the default mode network
Gaia Molinaro, Moshe Bar,
Spontaneous thought as play: the value of fictional goals in the default mode network,
Current Opinion in Behavioral Sciences,
Volume 63, 2025, 101504, ISSN 2352-1546
【タイトル】
遊びとしての自発的思考:デフォルト・モード・ネットワークにおける架空の目標の価値
【背景】
本論文が扱うのは、私たちが起きている時間のかなりの割合で行っている「今ここ」から離れた思考です。著者らは、起床中の思考のうち25〜50%が目の前の活動や周囲の状況から切り離された内容だと述べ、その多くが「自発的思考(spontaneous thought; ST)」に含まれると整理しています。STには、マインドワンダリング、白昼夢、空想などが含まれ、主にデフォルト・モード・ネットワーク(default mode network; DMN)の活動に支えられるとされています。
歴史的にはSTは「集中の失敗」「目的行動の邪魔」と見なされがちでしたが、実際には未来の出来事のシミュレーション、計画、記憶の固定、対人場面の想定、気分の改善、創造的解決など、広い意味での適応的な役割が指摘されています。
それでもなお、STには「現実的に役に立つとは思えない、ありそうもない状況」まで延々と想像する側面があり、そこが“有益な機能”として説明しにくい点でした。そこで本論文は、子どもの遊び(play)とのアナロジーを使って、この“いかにも無駄に見える”部分に意味を与えようとします。
【自発的思考:Spontaneous Thought / STについて】
STは、マインドワンダリング、白昼夢、空想といった「自分の意思で始めたわけではないのに、気づくと流れている思考」を含む広い概念として扱われています。
著者らはSTを、認知的コントロールに強く縛られた“目的志向の思考”とも、夢のようにコントロールがほぼ効かない状態とも違うものとして位置づけています。ストレスや強い情動にガチガチに拘束される反すう・強迫的思考とも区別され、比較的「制約がゆるい」思考の流れとして描かれます。
そして重要なのは、STがしばしば未来志向で、出来事の予行演習になり得ること、経験の再演で記憶の固定に寄与し得ること、他者を含む状況のシミュレーションが多いことなどが背景として述べられている点です。
【デフォルト・モード・ネットワーク:Default Mode Network / DMNについて】
DMNは、内側前頭前野・頭頂・側頭などを含む皮質ネットワークとして説明され、本論文ではSTと強く関連する神経基盤として繰り返し登場します。
ポイントは、DMNが「休んでいるときに働くネットワーク」というだけでなく、目標指向の処理にも関与し得ることです。著者らは、DMNが“連想的思考(associative thinking)”の神経機構として機能し、たとえ現実に追求されない目標であっても、その追求を頭の中でシミュレーションする際に同様の役割を果たすはずだ、という見通しを述べています。
【この論文とヨガの関係について(※平岡の考察の為、本論文の内容とは関係ないです)】
STを「悪いもの(雑念)」として一律に抑え込むのではなく、子どもの遊びのように“架空の目標”を試せるメンタルな実験場として捉える見方は、ヨガセラピーで扱う自己理解・価値の再評価・意味づけのプロセスと親和性があります。著者らは、社会的インセンティブ(評価、ランキング、いいね、ポイント等)に価値観が回収されやすい現実の中で、STが「別の価値体系を試す」「自律性を取り戻す」場になり得ると論じています。
これは、ヨガ哲学でいうところの“外的基準から距離を取る”実践(執着の緩み、価値の再配列)に接続しやすい論点です。また、ヨガの実践は「集中」だけでなく、“注意が逸れること”を含めて観察し、適切なタイミングで戻す訓練でもあります。STを単なる邪魔者ではなく、創造性や計画、気分の回復に寄与し得る現象として理解しておくと、クライアントの「瞑想中に考えごとが止まりません」を、失敗のラベルではなく「今は思考の遊びが起きやすい条件なんですね」という読み替えに変換しやすくなります。さらに、ヨガニドラやイメージ誘導、サンカルパのような“目標(ゴール)を仮置きする技法”は、まさに本論文がいう「架空の目標を安全にシミュレーションする場」という枠組みで説明し直せます(※重ね、これは平岡の解釈で、論文の直接主張ではありません)。
【方法】
本論文は実験研究ではなく、ST研究と遊び研究を横断しながら「ST=目標志向の“メンタルな遊び”」という枠組みを提案するレビュー/パースペクティブ(意見論文)です。
方法の核は、遊びの定義としてGrayの枠組み(遊びの5特性)を採用し、それぞれがSTにも対応することを論理的に積み上げる点にあります。具体的には、遊びが「強制されない」「覚醒しているが過度にストレスではない」「想像的で現実と創作の中間にある」「ルールはあるが創造性の余地がある」「過程自体が内発的に動機づけられる」という特徴を持ち、その対応物がSTにも見いだせると述べています。
【結果】
実験的な“結果(統計的差)”は提示されません。代わりに、STのうち特に「現実に追求しないかもしれない目標」を扱う部分が、認知機能上の価値を持ち得るという主張が中心です。著者らは、子どもの遊びが“架空の目標”を通じて計画や新しいアイデア生成、より精度の高いシミュレーション能力を育てるのと同様に、STもまた「現実的・実現可能性の境界を越えた目標やシナリオ」をシミュレーションするプラットフォームになり、学習とイノベーションを促進し、知性とメンタルウェルビーイングを支えると述べています。
【考察】
本論文の考察のポイントは二層あります。ひとつは認知神経科学としての含意で、DMNは“休息時ネットワーク”という理解にとどまらず、目標志向プロセスにも関与しうるため、たとえ現実に実行しない目標でも、それを頭の中で追うシミュレーションにはDMNが関わるはずだ、という予測が提示されます。
そして遊び研究の神経基盤としても、これまで「社会性ゆえのDMN活動」と説明されがちだった点が、実は“架空の目標のシミュレーション”に由来する可能性がある、と視点をずらしています。
もうひとつは社会的含意で、STの価値が理解されない結果として、私たちは“考えが自然に立ち上がる余白”を避け、スマホ等の刺激で埋めてしまいがちで、それがアイデンティティ・創造性・メンタルヘルスに深刻な影響を与え得る、と警鐘を鳴らします。
さらに、外部の評価指標に価値観が回収されやすい社会で、STは既存の成功指標から距離を取り、別の価値体系を試し、自分の価値定義の自律性を回復する場になり得ると論じます。
【結論】
著者らは、STを子どもの遊びに対応する「大人の建設的な遊び」とみなすことで、非現実的・些末に見える思考にも認知的価値を与えられると結論づけます。特に、非現実的・軽薄に見える目標であっても、それを“発明し、展開し、追求する”シミュレーション過程そのものが、計画と革新を支えるという点が中核です。
そして、子どもの遊びが保護され評価されるべきものになったのと同程度には、STもケアされ、守られ、価値づけられるべきだと締めくくっています。
引用文献は下記よりご覧下さい.
もし、掲載内容と論文に誤りがございましたらご連絡いただけると幸いです。

