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ヨガのデメリットとは?──運動・通い放題・上達競争から本来のヨガを考える
記事作成日
2026年7月20日
ヨガにデメリットはあるのか
「ヨガにデメリットはありますか」
そう聞かれると、ヨガを教えている立場としては、少し答えにくく感じるところがあります。
ヨガには、身体を動かすこと、呼吸を整えること、自分の感覚へ注意を戻すこと、心の動きを観察することなど、さまざまな要素があります。
健康に関する研究でも、ヨガにはストレスへの対処、睡眠、バランス能力、心身の健康などを支える可能性が示されています。また、腰痛や首の痛みなどに対して、一定の効果が期待できるという報告もあります。ただし、効果の大きさや確実性は、対象となる人やヨガの内容によって異なります。
そのため、ヨガそのものを単純に「良いもの」「悪いもの」と分けることには、あまり意味がないのだと思います。
大切なのは、
「どのようなヨガを、誰が、どのくらい、何のために行うのか」
ということです。
身体の状態に合ったヨガは、回復や健康を支えることがあります。
一方で、その人の体力、柔軟性、痛み、疲労、生活環境を考えずに行えば、ヨガであっても負担になります。
これは、薬や食事、運動と同じです。
身体によいとされるものでも、量や方法、タイミングが合わなければ、期待した結果が得られるとは限りません。
特に気をつけたいのが、現代のヨガが、いつの間にか「身体を感じる練習」ではなく、「身体を動かす商品」として受け取られやすくなっていることです。
汗をかく。
たくさん動く。
難しいポーズができる。
柔軟性が高くなる。
週に何回も通う。
もちろん、これらが悪いわけではありません。
運動としてヨガを楽しむことも、体力や筋力を高めることも、ヨガの大切な入口です。
けれども、運動量や回数、ポーズの完成度だけがヨガの価値になってしまうと、僕たちはヨガをしながら、かえって自分の身体から離れてしまうことがあります。
ヨガのデメリットを考えるとき、本当に見直したいのは、ヨガという方法そのものではありません。
「ヨガをどのような価値観で行っているのか」
という部分なのだと思います。
エクササイズ要素が強すぎると、身体を感じる前に「できるか」が始まる
現代のヨガクラスでは、アーサナと呼ばれる身体の姿勢が中心になることが多くあります。
決められた流れに沿って身体を動かす。
先生の動きを見ながら、同じポーズをつくる。
呼吸に合わせて、次々と姿勢を変える。
こうした練習には、運動としての分かりやすさがあります。
身体を動かした充実感が得られますし、筋力や柔軟性、バランス能力を使う時間にもなります。
ただし、エクササイズとしての要素が強くなりすぎると、身体を感じることよりも、
「できているか」
「正しい形になっているか」
「周りについていけているか」
という評価が先に始まります。
本当は膝に違和感がある。
今日は睡眠が足りていない。
呼吸が苦しくなっている。
前回より身体が重たい。
それでも、クラスの流れを止めたくない。
隣の人と同じように動きたい。
先生から遅れたくない。
そうして、自分の感覚よりも、外から見える形を優先してしまうことがあります。
ここには、少し矛盾があります。
ヨガは本来、自分の身体や心の状態に気づくための練習でもあります。
ところが、ヨガの場で「正しく動くこと」や「最後までやり切ること」が強く求められると、自分の状態を無視する練習になってしまうのです。
ヨガは、健康な人が適切な指導のもとで行う場合、一般的には比較的安全な身体活動と考えられています。
一方で、ほかの運動と同じように、捻挫や筋肉・腱などの損傷が起こる可能性はあります。特に、初めての人が難しい逆転姿勢や極端なポーズを行うこと、持病や過去のけがを考慮せずに練習することには注意が必要です。
ここで大切なのは、「ヨガは危険だ」と考えることではありません。
ヨガは比較的安全だからこそ、無理をしていることに気づきにくい面がある、ということです。
激しい痛みがなくても、同じ関節へ何度も負担をかけていることがあります。
柔軟性が高い人ほど、筋肉を伸ばすことはできても、関節を安定させる力が足りないこともあります。
また、身体の硬い人が柔らかい人の形をそのまま再現しようとすれば、必要以上に腰や膝、肩を使うことがあります。
ポーズの形が似ていても、その身体の中で起きていることは、一人ひとり違います。
だからこそ、ヨガでは「どこまでできたか」よりも、
「どのように呼吸しているか」
「身体のどこに負担が集まっているか」
「今の自分に、この動きが必要なのか」
を見ていく必要があります。
身体を置き去りにして完成させたポーズは、見た目がヨガらしくても、ヨガの目的からは離れているかもしれません。
「通い放題」がつくる、たくさん通うほどよいというラベル
最近では、ヨガスタジオやフィットネス施設で、「通い放題」という仕組みをよく見かけます。
一定の料金を支払えば、月に何回でもクラスを受けられる。
これは利用者にとって、とても便利な仕組みです。
一回ごとに料金を気にせず通えますし、生活の中に運動習慣をつくるきっかけにもなります。
そのため、通い放題というサービス自体が悪いわけではありません。
問題が生まれるのは、「何回でも通える」という仕組みが、
・たくさん通った方が健康になれる
・休むよりも、参加した方がよい
・通わなければ損をしている
というラベルへ変わってしまったときです。
月額料金を払っているのだから、できるだけ多く参加したい。
昨日も身体を動かしたけれど、今日も行かないともったいない。
少し疲れているけれど、予約を入れているから参加する。
そんなふうに、身体の状態ではなく、料金や回数を基準にしてヨガを選ぶようになることがあります。
もちろん、週に何回ヨガをしても元気に過ごせる人もいます。
短い練習や穏やかなクラスであれば、毎日行うことが合っている人もいるでしょう。
一方で、強度の高いクラスを何日も続ければ、筋肉や関節に疲労が残る人もいます。
仕事が忙しい週、睡眠が足りない日、体調が変化しているときには、いつもと同じ練習量が合わないこともあります。
本来、身体の状態は毎日違います。
それにもかかわらず、「週に何回通う人」「毎朝ヨガをする人」「毎日練習を欠かさない人」と自分を定義すると、そのラベルを守るために身体を使うようになります。
身体のためにヨガをしていたはずが、ヨガを続けている自分を維持するために、身体へ無理をさせることになるんですね。
僕は、ここに現代ヨガの難しさがあると感じています。
スタジオにとって、参加回数が多いことは、サービスが利用されているという一つの指標になります。
けれども、スタジオ側の利用回数と、その人の身体にとって必要な回数は、必ずしも一致しません。
通うほど整う日もあります。
休んだ方が整う日もあります。
しっかり動いた方がよい日もあれば、呼吸を眺めるだけで十分な日もあります。
「通い放題」は、本来、自由に選べる仕組みです。
それが「通わなければならない」という義務へ変わった瞬間、ヨガは身体を自由にするものではなく、身体を管理する新しい規則になってしまいます。
ヨガにおいて大切なのは、たくさん行うことではありません。
「今の自分に必要な量を選べること」
なのだと思います。
本来のヨガは、身体を理想の形へ近づける技術だけではない
ここで誤解したくないのは、「現代のヨガは偽物で、昔のヨガだけが本物だ」ということではありません。
現在、世界中で行われている姿勢中心のヨガは、インドの伝統だけでなく、近代の体操文化や身体教育など、さまざまな影響を受けながら形づくられてきたとする歴史研究があります。つまり、現代ヨガは、長い時間の中で変化してきた一つの文化でもあります。
運動としてヨガが広がったからこそ、以前であればヨガに触れなかった人も、身体を動かすことを入口としてヨガへ出会えるようになりました。
肩こりを楽にしたい。
運動不足を解消したい。
身体を柔らかくしたい。
ストレスを減らしたい。
こうした動機からヨガを始めても、何も問題はありません。
ただ、ヨガを身体運動だけに限定してしまうと、ヨガが持っている広がりの大部分が見えなくなります。
パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』2章46節には、
スティラ・スカ・アーサナ
sthira-sukham-āsanam
という言葉があります。
一般的には、アーサナとは「安定していて、心地よいもの」と解釈されます。
ここで興味深いのは、「深く曲げられること」でも、「難しい姿勢を取ること」でも、「汗をたくさんかくこと」でもないという点です。
スティラは、安定していること。
スカは、心地よさや無理のなさ。
つまり、身体を強く固めればよいわけでもなく、ただ楽をすればよいわけでもありません。
必要な安定があり、その中に呼吸できる余白があること。
これは、ポーズの完成度とは違う評価軸です。
ヨガの練習では、身体の形だけでなく、どのような気持ちで動いているのか。
何と競争しているのか。
痛みを我慢していないか。
できない自分を責めていないか。
必要以上に結果を求めていないか。
といった、心の働きも観察します。
たとえ美しいポーズができていても、心の中で自分を責め続けているなら、その練習は本当に自分を整えているのでしょうか。
反対に、ポーズが完成していなくても、身体の小さな変化に気づき、無理をせず、呼吸を保ちながら練習できているなら、そこにはヨガの大切な要素があります。
ヨガの素晴らしさは、理想の身体をつくることだけにあるのではありません。
「理想通りにならない身体と、どのように付き合うのかを学べること」
にあるのだと思います。
身体は、毎日同じではありません。
年齢によって変わります。
季節や睡眠、仕事、人間関係、病気やけがによっても変わります。
ヨガは、変化し続ける身体を無理に固定するのではなく、その日の身体と関係を結び直すための実践なのです。
ヨガの素晴らしさを失わないために、見直したいこと
ヨガを選ぶとき、多くの人はクラスの種類や運動量、料金、通いやすさを確認します。
もちろん、それらも大切です。
けれども、ヨガを長く続けるためには、もう一つ見ておきたいことがあります。
それは、
「そのヨガをしたあと、自分の身体との関係がどう変わっているか」
ということです。
練習後に、身体の感覚が分かりやすくなっているか。
呼吸が少し穏やかになっているか。
身体の疲れや痛みに、以前より早く気づけるようになっているか。
できないポーズがあっても、自分を責めずにいられるか。
休むことや、動きを小さくすることを、自分で選べるか。
こうした変化があるなら、そのヨガは身体を整えるだけでなく、自分との関係も整えてくれているのだと思います。
反対に、
ヨガを始めてから、身体への不満が増えた。
できないポーズばかりが気になる。
休むことに罪悪感を覚える。
痛みがあっても、練習を休めない。
柔軟性や体形を、周囲と比べるようになった。
クラスへ行けなかった日に、自分を責める。
そのような状態が続くなら、一度、ヨガとの付き合い方を見直してもよいかもしれません。
良いヨガの先生は、すべての人を同じ形へ導く人ではありません。
その人の身体や生活、目的を見ながら、必要に応じて動きを変え、休むことを認め、ときには「今日はこれ以上やらない方がよい」と伝えられる人だと僕は考えています。
また、良い練習とは、毎回達成感を得られる練習だけではありません。
いつもより動きを小さくする。
基本的なポーズを繰り返す。
呼吸だけを行う。
シャヴァーサナで長く休む。
身体の状態によっては、練習そのものを休む。
こうした選択も、ヨガの一部です。
ヨガのデメリットは、身体が硬いことでも、ポーズができないことでもありません。
ヨガが運動量や回数、見た目の完成度だけで評価されるようになり、自分の身体の声を聞けなくなることです。
そして、ヨガの素晴らしさは、誰かより柔らかくなることでも、難しいポーズを完成させることでもありません。
自分の身体をよく観察し、必要な努力と、必要な休息を選べるようになることです。
動くべきときに動き、止まるべきときに止まる。
頑張るべきときに頑張り、手放すべきときに手放す。
身体を自分の理想へ従わせるのではなく、身体から届く小さな声に耳を澄ませる。
ヨガは本来、そのような知性を育ててくれるものなのだと思います。






