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135:価値観とストレス
先日「“当たり前”を疑う」という話を講座の中で聞きまして、なんとまあ良いテーマなんだと思いました。「1日3食は食べないといけない」とか「昼の12時だから昼食をとる」とか、なにとなく当たり前にしてきた習慣が、実は自分の体質や生活リズムに合っていないかも?なんて話は過去のメルマガでお伝えしてきました(空腹感を意識してみませんかというやつですね)。
“習慣”は想像しやすいのですが、“価値観”の中の当たり前の感覚ってあんまり考えたことがないのではないかと思います。それなりに長い人類史から見て、「お金を稼ぐ能力が高いほど偉い」という感覚が浸透してきたのもかなり最近で、お金で交換できる物事が増えたおかげでお金の価値が高まっているわけです(江戸時代の田舎の村でお金をたんまり持っていても、そのお金を使えるものが無かったわけですからね…)。
最近でこそ「性別は男と女だけではない」という認識が改められていますが、それは少し前に「男性と女性が愛し合うものである」という共通認識がユダヤ教とキリスト教の影響でつくられてきたからだと考えられています。欧州でも中国でも日本でも、歴史的偉人たちの同性愛の史料や記述がとても多く、キリスト教の外の世界の歴史では「男が男を求めるのは普通」だったと認められるようです(色んな考えがありますが、僕は背筋がヒヤッとします…)。
最近の分かりやすい価値観の変動では、「ビシッとスーツを着て働くのがカッコイイ」という感覚が当たり前だった時代から「Tシャツにジーパンで働くのがカッコイイ」も常識になってきたり。色々ありますが、僕たちが当たり前のことだと考える社会的な価値観は、社会の変容とともにコロコロ変わっていくわけです。
そしてそのコロコロ変わる価値観に囚われてしまうと、嫉妬やら焦りやら不安やら、過度なストレスがかかりやすくなってしまうかもしれませんね(理想の追求がモチベーションになることはもちろん良いことですけどね)。そんな時に役立つのが古典じゃないかなと思います。ヨガでも仏教でもキリスト教etcでも、ほとんど全ての古典は社会よりも“人”へ焦点が当てられているので、いつの時代にも参考になることが書いてあるんです。
「古典に書いてあることが正解で~」なんて話ではなく(むしろ変なことも多いですよね…?)、時代とともに変化するものと、そうでないもの両方を知ること、考えることによって今の生活がより快適になる気がするのでお勧めしたいのです。ヨガの古典とか、実はとても面白いんですよ。
Sahanaメルマガ vol.288(2022年1月)より