Mail Magazine
108:散りゆく美学
先週に満開を迎える地域が多かったと思いますが、皆さまは桜を見に行かれましたか。桜が咲く頃にお送りするメルマガは、いつも桜がテーマでして、今年ももれなく桜メルマガです。
ちなみに去年の桜メルマガは3月中旬に配信しておりまして、観測史上で最も早い開花だったんですよね。
「昔は“春と言えば梅”だった」という貴族と梅のメルマガから、「桜と花見は農業にとって重要な存在だった」という桜と農民のメルマガ、そして今回と続いておりまして、なんだか春の桜シリーズになっていますね。
遣唐使の時代に、中国から梅を持ち込んだわけですが、当時の日本人からすれば中国は先進国の象徴であり、その国で「花の中の花である」と称えられる梅は羨望の的だったんです。
いつの時代も海外文化はより魅力的に感じられるようですね。その後、遣唐使制度が廃止されることになったことを機に、人々の関心は国内の文化に向けられることになります。
当時のラブソングである和歌でも、「梅が咲くのが待ち遠しい」という時代から、「桜が散るのが惜しい」という時代へ変わっていき、“咲くことの美しさ”だけでなく、“散っていくことの美しさ”という新感覚も広まったようです。
そして、この散りゆく美学が武士の心を射止めたようで、鎌倉時代になると武士たちもこぞって桜を鑑賞し始めます。常に死と隣り合わせの武士にとって、「散る姿が美しいという」感性は、さぞしっくりきたようですね。
かの有名な織田信長や武田信玄も、桜についての歌がありまして、どちらも「儚さ」や「時代の移ろい」について詠んでいます。
散っていくもの、または終わりゆくものを見た時に、ただ悲しいな嫌だなとは思わずに、美しいと思える感性を常日頃から持ち合わせたいものです(この2日間、ちょうど横浜は雨降りで桜が落ちておりますね)。
そんな「散りゆく姿が美しい」という武士美学が中心の時代に、盛大な花見を2回も開催している豊臣秀吉の派手っぷりが、なんだか良いなと思います。
それも、女性ばかりを集めて派手に開催した「醍醐の花見」では、参加女性は2回の衣装替えが命じられ、一人3着の着物が新調されたようで、衣装代だけでも約39億円かかったと言われています…すごくないですか。そんな派手好きの秀吉が開催した花見が、今日でも春の行事として定着しているんです。
大変な状況はまだまだ続きますが、綺麗に咲く桜を見ると、ほっとした気持ちで春を感じられませんか。散る姿まで美しい桜、どうぞお楽しみください。次回の桜メルマガは、また来年に。
Sahanaメルマガ vol.248(2022年4月)より