
Column
聖典から考える「ストレスマネジメントとしてのヨガ」

記事作成日
2021年1月20日
【ストレスとは】
内分泌学者のハンス・セリエ(Hans Selye)は、ストレスを「系統発生学(*1)に基づく非特異的な反応パターンであり、体を『逃げる(flight)』または『戦う(fight)』態勢に整える重要な機能」と定義しています。つまり、ストレスとは刺激(ストレッサー)に対する心身の反応全般を指しており、必ずしも「ストレス=悪いもの」というわけではないのです。
私たちは日常生活の中で常に様々な刺激に囲まれています。例えば食事をすることや外出することも、一種の刺激です。セリエ氏は、心身に良い影響を与える刺激を「ユーストレス(Eustress)」(例:食事、お風呂、成功体験など)、悪い影響を与える刺激を「ディストレス(Distress)」(例:不眠、空腹、失敗体験など)と分類しています。人によっては食事が苦痛に感じられたり、空腹を心地よく感じたりするように、刺激に対する反応や感じ方は一人ひとり異なります。
このように、ストレスに対して重要なのは「どのように感じ、どう捉えるか」という点です。ポジティブ思考の人はストレスを「成長の機会」として活用できますが、ネガティブ思考の人はそれを「苦痛や不快感」として捉えてしまう傾向があります。
生理学的にストレス反応を説明すると、次のような流れになります。
① ストレスを感じる
② 視床下部からCRF(刺激ホルモン)が分泌される
③ CRFを受けた脳下垂体がACTH(刺激ホルモン)を分泌する
④ ACTHを受け取った副腎髄質がアドレナリンを放出する
⑤ 心拍数の増加や血糖値の上昇などが起こる
つまり、ストレッサーに対してどのように反応するか(ストレスを感じるかどうか)の判断は脳内から始まります。短気な人や負けず嫌いな人は、そうでない人に比べて多くのストレスを感じやすいかもしれません。
(*1) 生物の進化に関する仕組み

【ヨガで考えるストレスとは】
ヨガ教典の一つである『ヨーガ・スートラ』を編纂したパタンジャリ大師(*2)は、ヨガとストレスの関係について次のように述べています。
『ヨガに頼るということはクレシャ(悲哀、悩み、苦痛など)を間引くことであり、ストレスが少なく、優れた受容能力を持つ高い意識状態へ到達することである』
―Patanjali Yoga Sutra 第2章, 第2節
パタンジャリ大師は、ストレスの要因はすぐに取り除けるものではなく、徐々に「間引いて」いくべきものと考えました。ヨガはその「間引く」ための適切な方法であり、体系的な実践を通じて私たちの意識を高める助けとなるのです。
また、間引くべきストレスの要因であるクレシャについて、聖典『バガヴァッド・ギーター』のSloka(詩句)を引用して説明すると次のようになります。
『物事を繰り返し考えることは愛着を生み、愛着は欲望や執着を引き起こし、欲望や執着は怒り(貪欲・情欲・嫉妬など)を生む。さらに怒りは判断力や注意力を鈍らせ、最終的には自己を見失ってしまう』
―Bhagavad Gita 第2章, 第62節・第63節
好き嫌いに関係なく、繰り返し考えることで愛着が生まれます。好きな人の行動に過敏になったり、悩んでいるときに普段はしないような失敗をした経験はありませんか?こうした感情の不安定さがディストレス(悪いストレス)を生みやすくなります。
また、「自己中心的な性格」は「執着」「野望」「好き嫌い」などの感情から形成されます。そのような性格では、ストレスをネガティブに捉える傾向が強くなります。社会で多くの人と共に生活する中で、自己中心的な考え方を通すことは非常に困難です。
ヨーガ・スートラは、『ヨガとは心の働きを制御することである』(*3)という言葉から始まります。ヨガは心の働きをコントロールするための体系的な実践方法であり、自分の体の動き(アーサナ/座位)、呼吸(プラーナヤーマ/呼吸法)、心の内側(ディヤーナ/禅那)に集中することで、自分の意識をコントロールする技法を身につけることができます。
ランニングをするとスッキリするように、身体を動かすことで余計な考えが頭を占めることがなくなり、「今ここ」の自分に集中できます。現代社会がストレス社会と呼ばれる中、ヨガの中でも特に「アーサナ(ポーズ)」が注目される理由がここにあるのです。
(*2) ヨーガ・スートラの編纂者であり、文法学者としても知られる。
(*3) Patanjali Yoga Sutra 第1章, 第2節(第1節は「これよりヨーガの解説をする」である。)

【療法としてのヨガの活用】
南インドのバンガロールにあるヨガセラピー施設「Prashanti Kutiram」では、Dr.ナガラートナとDr.ナゲンドラを中心として、ヨガの療法的効果を科学的に実証するための研究や調査が盛んに行われ、多くの論文が発表されています。この施設にはインド国内だけでなく、世界中から「ヨガを通じて心身を癒したい」と願う多くの人々が訪れています。
施設で研究を行っている両博士は、生活習慣病や精神疾患が増加している現代の状況について、以下のように述べています。
『従来の西洋医学は主に肉体とその機能に焦点を当ててきましたが、病気の原因が生活習慣や態度に由来する場合、その対応は容易ではありません。現代の社会生活は異常な速度で変化しており、多くの人々は絶え間ないストレスにさらされています。一般的に人々がストレスに対して採用する対処法は飲酒、喫煙、過食(嘔吐)、薬物使用など有害なものが多く、これらはやがて肉体的疾患や精神的な不調を引き起こしてしまいます。』
―(R.ナガラートナ・H.R.ナゲンドラ・ロビン・モンロー/橋本光 訳『あなたにもできるヨーガ・セラピー』産調出版 2000年 9頁)
ヨガの考え方では、事故や遺伝的要因などが原因で起こる病気を「Anadhija(アナディジャ)」と呼び、それ以外のストレスや誤ったストレス対処法が原因の病気を「Adhija(アディジャ)」と分類しています。さらに、ヨガの視点では「ストレスとはスピードである」と捉えています。
ヨガの実践では、呼吸法や瞑想法だけでなく、呼吸に合わせてゆっくりと行うアーサナ(ポーズ)によって身体の緊張を解きほぐし、心の焦りや高ぶりを静めてくれます。これにより、速い変化の中でも落ち着いた心を維持できるよう導かれます。ヨガの実習はストレスから生じるさまざまな問題への効果的な対処法であり、予防法としても有効なのです。

【仕事と健康】
日本においてヨガが広く知られ、定着してきたことは大変喜ばしい状況です。次の段階として期待されるのは、ヨガを実践することによる具体的な効果をより多くの方が認識することでしょう。特に現代社会では、「ストレス」や「心の病」が一般的になり、大量消費社会が生み出す様々な問題への対処法(ストレスマネジメント)としてもヨガが有効だと考えています。
しかし、「ヨガは宗教的だ」「女性向けのものだ」というイメージから、男性、特にビジネスマンの方々からは敬遠されることも少なくありません。もちろん、ヨガに対する考え方は人それぞれです。実際には、ヨガは本来、男性が実践していたものであり、かつては女性が行うことは社会的にあまり認められていませんでした(現在ではインドでも多くの女性がヨガ指導者として活躍しています)。つまり、男性がヨガを実践することは非常に自然なことなのです。
また、ヨガ(特にヨーガ療法)が心身の癒しや治療において有効であることは、インドの研究機関や大学院で科学的に実証されています。日本国内でも、日本ヨーガ療法学会(www.yogatherapy.jp)で多くの研究や症例報告がなされ、その効果が確認されています。
ヨガは少しでも空いた時間があればすぐに始められるものです。今では数多くのヨガ教室が全国各地で開講されていますし、本を読んだり、インターネットで動画を見たりするなど、ヨガに触れる機会はたくさんあります。これまであまりヨガに関心がなかった方も、この記事をきっかけに興味を持ち、試していただければ幸いです。
【参考】
1. R.ナガラートナ・H.R.ナゲンドラ・ロビン.モンロー/橋本光 訳(2000), あなたにもできるヨーガ・セラピー, 産調出版
2. Anne Waugh and Allison Grant (12th-2014), Ross and Wilson Anatomy & Physiology in Health and Illness, Churchill Livingstone (Elsevier), London
3. H.R. Nagendra and R. Nagarathna (1986), New Perspectives in Stress Management, Swami Vivekananda Yoga Prakashana, Bangalore, India
4. Patanjali Yoga Sutra
5. Bhagavad Gita